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2013年3月22日 (金)

新潟下町(しもまち)をあるく~浅草観音堂~(9)

    今回の下町あるきの締めくくりは、赤坂3丁目の「浅草観音堂」です。
  お堂の前に「浅草観音」という額が掲げてありますが、気づかずに通りてしまいそうな小さなお堂です。

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  かってこのお堂は庭に池や木がある大きな寺であったと伝えられています。
その頃の住職の父は新潟奉行所の寺社係をしていたが、戊辰の役で会津方について敗れ、浅草の観音様に入って僧になったということです。
  浅草寺では、明治開港の五港を祈願するため聖観音をつくり、各港町へ分身されることになった。
  新潟へは遅れて明治12年に寺を建てて、大金をつけてもらって開山したということです。
 観音様は、丈1メートルくらいの黒い木像です。
その後この寺には、いろいろなことがあって小さくなってしましました。
  現在は西堀の瑞光寺の末寺となって毎月に18日にお祭りのお経があげられています。

2013年3月21日 (木)

新潟下町(しもまち)をあるく~旧小澤邸住宅~(8)

   本町14番町の突き当たりにある浄信院「入船地蔵尊」から傾らかな坂道を下り、上大川前通りへと歩いて行くと「旧小澤邸住宅」があります。

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    この邸宅は豪商であった小澤家が新潟市に寄贈し、今は市の管理する施設になっています。
   小澤家は明治初期には回船問屋を営み、観徳丸・幸運丸などの回船を所有し、北海道と瀬戸内、大阪との間で商売をしていました。     中央区西厩島の金刀比羅神社には小澤家が奉納した北前船の和船模型が展示されています。

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  その後運送倉庫業、米穀流通、地主経営、運送業など広く事業を展開し財をなしました。
また、新潟三大財閥の一つ斎藤家とは縁戚関係にあります。
   上大川前通りはかっては信濃川の川岸で、そこに面して屋敷を持つことは商家のステイタスでもありました。
  1880年(明治13)の大火の直後に建てられましたが、旧新潟市に残る町屋で最も古いものの

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一つです。

2013年3月20日 (水)

新潟下町(しもまち)をあるく~入船地蔵尊~(8)

   開運稲荷神社の裏手は海岸線になっています。、
   その一歩手前の四ツ屋町住宅街の通りを歩いて行くと、
浄土宗の尼寺、浄信院「入船地蔵尊」があります。

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   この寺は1794(寛政6年)天明の大飢饉による死者を供養するため、関川貞信尼が近隣の信者の協力を得てお堂を建て、
延命地蔵を安置したものだと伝えられています。
   境内の千体地蔵堂には丈7寸5分の1470体の金色地蔵が安置されています。
   また境内には六地蔵と江戸時代の尊皇学者竹内式部の顕彰碑があります。
   この寺の本尊は丈2尺8寸の石像ですが、享保3年、佐州羽黒山覚念の銘があります。
   本尊には次のような逸話があります。
   丹州の楠船が夷港に停泊中、一人の白髪の老僧が現れて、
「新潟へ渡航するのに便船がなくて当惑しているので乗せてほしい」といったが、船中の者に断れていずれともなく立ち去っていった。
   出航していよいよ新潟へ近づいた時に船が急に進まなくなった。
見ると船尾に石地蔵が座っている。船員はこいつとばかり海中へ投げたところ船は全く動かなくなった。
   地蔵の天罰か仏法不知の輩への咎かと心配して海中から地蔵を拾い上げたところ、入風がでて船は無事入港することができた。
  また、この寺はかつての新潟遊郭のあった本町十四番町の突き当りに位置していることから、娼妓が沢山お参りにきていたことでも知られています。
  この辺が遊郭であったころと今を比べて見ました。

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2013年3月19日 (火)

新潟下町(しもまち)をあるく~開運稲荷神社~(7)

  願随寺の裏手にでると砂丘地の地形になり、海岸に向かい緩やかな傾斜地に、栄小学校や住宅地などがびっしり建てられ、その先は海岸の松林になっています。
  そんな住宅地の中の小路を歩いていくと、開運稲荷神社が現れます。

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  この神社は1649年(慶安2)ころ長岡藩が関屋に藩の米倉をつくったときに、鎮護のために稲荷さまを祀ったのがはじまりだと言われています。
  その後米倉は学校町に移り、開運稲荷大明神と改められました。
  明治7年には米倉は撤去されましたので、一時的に古町十一番町の、秋葉神社に移されました。
  今の場所に移築されたのは1878年(明治10)です。
  このお宮は場所柄、漁師や娼妓のお参りが多かったようです。
  参道には左右一対の「こんこん樣」と言われる狐の石像があります。

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  この像は明治の始めころに、出雲国(島根県)の回船が積んできた出雲石を、狐の像にして奉納したと言わてています。両足をなでた手を額にあてるとご利益があるそうです。

2013年3月18日 (月)

新潟下町(しもまち)をあるく~願随寺~(6)

   金刀比羅神社前の狭い小路から横七番町通りの広い通りへ出ると、道を隔て門前奥に願随寺が見えてきます。

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このお寺は真宗大谷派の寺で、新潟県三島郡北村(現長岡市)あったものです。
   1733(享保18年)新潟市砂山に移転を許され、1841(寛保元年)長岡藩主より、願随寺受地として3,980坪与えられました。
1859(安政5年)新潟開港にあたり、外国使節団の接待所となったことで知られています。

   願随寺裏の辺から海岸線の砂丘の縁にあたり次第に登坂になってきます。

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※ ジキット号の来港
安政6年(1858)4月22日、最初に新潟沖現れたのは事前連絡のなかったロシア船であった。
ジキット号という軍艦で、函館の領事館で使用するために派遣されていた船であった。…

オランダ船・イギリス船の来港
ロシア船が来航した翌日の4月22日、オランダ船バーリー号が新潟に現れた。…
遅れて10月9日にはイギリス船が新潟に来た。
…乗っていた7人のうち3人が上陸し、願随寺で会談が開かれた…
                      ~新潟歴史双書~

2013年3月16日 (土)

新潟下町(しもまち)をあるく~金刀比羅神社~(5)

  湊稲荷神社を出て下町(しもまち)の狭い小路へ入って行くと、
迷路に迷い込んだように方向が分からなくなってしまいます。
  そんな思いをしながら歩いていくと、目の前が急に開け、金刀比羅神社が現れます。

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  この神社は1822(安政5年)新潟の回船問屋鈴木弥五左衛門の建立したものです。
  弥五左衛門の持船「白山丸」800石は、大阪からの帰路出雲沖の海で遭難します。
  荒れ狂う大波に船頭の三平以下13人の乗組員は、助かる道はないと諦め帆柱をたたみ、
四国の金毘羅様の護摩札を帆柱にくくりつけ、祈りました。
そうすると帆柱の先端が急に明るくなり白髪の老人が現れ波は静まり助かりました。
この金毘羅様のご利益に感謝し、弥五左衛門はこの神社を奉納したと言われています。
  拝殿正面に1897(明治30年)奉納された「難船絵馬彫刻」の欅板の彫刻が掲げられています。

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  この絵馬は1984(昭和59年)新潟市有形民俗文化財に指定されました。

新潟の下町を歩く~(湊稲荷神社)~(4)

   「みなとぴあ」を後に下(しも)町の小路を5分ほど歩いていると、右側に湊稲荷神社が見えてきます。

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    この神社は1716(享保元年)の創建と伝えられています。
  新潟の湊に来る船はこの神社の森を目当てに進み、上陸して海上安全と舟運長久をこの神社で祈ったと伝えれれています。
  航海の無事を祈願する神社として海運業者や漁業者の信仰を集めましたが、一方で遊郭で働く女性たちからの信仰も厚く、別名道楽稲荷とも呼ばれていました。
  また、神社の鳥居をくぐると左右一対の高麗犬があります。

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  この高麗犬には台座が据えられ、回転する設計になっています。
言い伝えによれば、向かって左は女性・右側は男性、それぞれこの台座を回しながら願掛けすれば願いが叶うと言われ、女性に人気があります。
  船員を接待した女性たちは夜になると、この神社で高麗犬を回しながら、西風が吹いて波が荒れ、船の出港が遅れることに願掛けしたと言われています。
  境内にそのことを詠った盆歌の一節が刻まれた石碑があります。

「しもの新地の 道楽稲荷 おれも二三度 だまされた」
                            八木朋直筆

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2013年3月14日 (木)

新潟の下町を歩く~(「千の風になって」モニュメント)~(3)

○ 千の風になってモニュメント
 みなとぴあ、の河畔の一角に「千の風になって」モニュメント」があります。

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  このモニュメントは、新潟市出身の作家 荒井満が翻訳作詞・作曲した「千の風になって」の歌碑です。
  平成20年10月千の風市民の会が、募金活動をして製作したものです。
  平成24年9月2日完成し、この場所で完成セレモニーが行われました。

作曲者 荒井満さんのメッセージは次の通りです。 

 私のふるさとは、新潟市です。高校を卒業するまでの幼少年時代をすご
しましたので、幼友達がたくさんおります。その中のひとりである川上耕君
の夫人桂子さんが、病に倒れお亡くなりになりました。まだ四十代の若さ
でした。あとに残された耕君と三人の子供たちの悲しみは、尋常ではあり
ません。その悲しみをほんの少しでも和らげてあげたい…。そんな思い
から生まれたのが「千の風になって」という楽曲でした。
  英語の原詩を翻訳作曲し始めて歌唱したのは、十二年前の夏。場所
は北海道、大沼湖畔に広がる森の中です。地元七飯町の人々は、このこ
とを大いに喜び、″千の風になって 名曲誕生の地 大沼国定公園″と
いうモニュメントを作ってくれました。四年前のことです。
  そしてこのたびは、なつかしい信濃川の河畔に、″千の風になって
名曲のふるさと新潟市〟という新しいモニュメントが建立されることにな
りました。このプロジェクトを発案し、様々な困難をのりこえて完成にこぎ
つけたのは、新潟市民の皆さんの情熱と実行力のたまものです。
おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。このモニュメント
が新新潟市民の戸って、”希望とやすらぎの場所”になりますように…。

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新潟の下町を歩く~(みなとぴあ)~(2)

○旧新潟税関庁舎 
   この建物が建てられたのは、1869(明治2)10月で、新潟運上所として開設されました。
   設計者は不明ですが、「請負人は弥七・礼助」「棟梁は円六」とされています。

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   運上所は1873(明治6)税関と改称され、その後1966(昭和41)まで新潟税関支所として使われました。
   開港当時の税関庁舎として現存する、唯一の建築物で、1969(昭和44)重要文化財に、敷地が史跡に指定されました。
  建物の特徴は、日本建築の技術を用い、洋風をまねて表現しようとした、「擬洋風木造建築」の建物です。
  特徴的な意匠は、塔屋、アーチ状の通路、なまこ壁、きんちゃく型ガラス窓、べんがら塗装、青海波模様の棟瓦などが挙げられています。
  この建物ができた当時のこの周辺は一面の谷内で、盛り土をして造られたようです。
その後運上所から上大川前に至る湊町通り(通称「運上所通」)と、運上所から河口へ至る入船町通りを軸に、下島・上島の開発が進んだようです。
  この建物がどうして建築当初のまま残ったのか、調べてみますと、当時の新潟湊の輸出入は、非常に少なくこの建物で十分対応できていて、増改築の必要性がなかったからという説もあります。
○ 石倉
  石倉は税関庁舎、土蔵と同じ1869(明治2)に建築されました。
最初は保税倉庫として使用されていまいたが、現在は、民具などを収めた資料庫として使用されているようです。

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  この建物が建設されたころは、輸出入品を通関手続きのため一時的に保管していたようです。

2013年3月13日 (水)

新潟の下町を歩く~(みなとぴあ)~(1)

  10日(土)の午後新潟の下町を歩いてきました。
 下町には江戸から昭和にかけ湊町として栄えたころの、貴重な遺産が残されています。
  信濃川左岸にある「みなとぴあ」の駐車場に車を停め、ここから出発です。

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  「みなとぴあ」は開港5港のひとつに選ばれた、みなとまち新潟の歴史と文化に触れることができる博物館です。
 重要文化財の「旧税関庁舎」や昭和初期の建造物である「旧第四銀行住吉町支店」が立ち並び、湊町として栄えたころにタイムスリップするような体験でした。
 ここは平成16年、旧税関庁舎と石倉、旧信濃川の岸部にあった荷上場など、国の史跡に指定されているところに、新たに新潟市歴史博物館・第四銀行住吉町支店が併設されたものです。
○ 新潟市歴史博物館

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  現在のNEXT21がある場所、柾谷小路と西堀が交差する角地に建てられていた二代目新潟市庁舎のイメージを取り入れられ、1.6倍に拡大して建設されました。
1910(明治43)に建てられ1933(昭和8)火災で焼失するまで使用されていました。
 常設展示では水とのかかわりをテーマに、企画展示では収蔵資料や様々な切り口で新潟の歴史が紹介されています。
○ 旧第四銀行住吉町支店

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  この建物は市内住吉町にあったものですが、柳都大橋から通じる万代島ルート線上に建物が位置するため、新潟市では、建物を保存し、活用するため、今の場所に移築されたものです。

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